「死ぬまでおいしく食べる」ってできますか?〈後編〉

インタビュー 2022.12.28

語り手:青木奈々(摂食・嚥下障害看護認定看護師)
聞き手:尾山直子(看護師/広報)


「食べる」の専門家。その想いとは?

ー青木さんはどうして摂食・嚥下の認定資格をとったのですか?

病院で働いていたとき、NST(*)という栄養面から治療をサポートする仕事をしていたのですが、「栄養をとらないと人って元気でいられない。食べられないならどうしたら?」と考えて、専門的に学ぶことにしました。

*NST:栄養サポートチーム。最適の栄養管理を提供するために、医師、看護師、薬剤師、管理栄養士、臨床検査技師、理学療法士、言語聴覚士、歯科医師、歯科衛生士などで構成された医療チームのこと。

ーなるほど。現場での経験から、知識を深めたいと思ったんですね。

きっかけのひとつになった、印象的なエピソードがあります。
前頭側頭葉型の認知症の寝たきりの方だったのですが、夫が2つのスプーンを使って口の中にスライドさせて食べさせていたんです。夫は必死にそれを繰り返していて。彼らの姿を見て、「口から食べて元気に暮らそうと頑張っているんだ」というのを強烈に感じました。
だけど、やり方としてこれで合っているのかな?とか、その人にとってそれが一番いい方法なのかな?とか、その時は全然わからなくて。そういう経験も興味を引かれた理由のひとつでした。

ー食べることへの考え方や捉え方って人それぞれだなあと、現場でよく感じます。

「どうしても好きなものが食べたいから、ムセながらでも食べてる」っていう方がいたり、一方で「安全に食べるほうがいい」と熱心に勉強される方もいたりとか。
在宅医療の現場だと介護している家族と出会うことも多くて、家族の想いもさまざまですよね。「食べられないことが死につながる」という必死な想いで、時間をかけてでも少しでも多く食べさせたいという状況が、何日も何週間も続いている方がいたりとか。そういう姿を見ると、少しでも補助食品なども活用しながらその必死さを軽減することができたら、という想いはありますね。

ーわかります。一方で、人はいつか食べられなくなる時ってくるのですよね。

そうですね。家族と本人の想いにズレが生じやすい時期でもありますね。
本人はもう「食べたい」という欲求がないのだけど、家族は「食べさせたい」という想いが強くあって。ただ、安全面からは危険な状態で、窒息しかかるとか、誤嚥(*)してしまっているような状態で、それでも諦められなくて必死で葛藤している家族の姿・・というのに、よく出逢います。

*誤嚥:飲食物や唾液を飲み込んだときに気道(気管)に入ってしまうこと

ー出逢いますね。頭が下がる想いになりつつも、医療者としてジレンマを感じることもあります。

わたしたちの仕事を「伴走する」って表現したりしますが、そういう悩みやジレンマを家族と共有しながら、一緒に「困ったねえ」って、「次はこうしてみよう」とか、そうやって伴走していける看護師を増やしたいって思うんです。そんな想いはありますね。

ー青木さんが「食べること」において大切にしているケアのポイントというのは、何でしょうか?

食べる機能が落ちてくると病院だと「禁食(口からの食事は禁止)」ってことになりやすいですけど、「本人はどうしたいのか」を大切にしたいから、そこに寄り添うための知識や技術を身につけたいし、広めていきたいです。
「食べることへのケア」って資格はいらないじゃないですか。看護師だけじゃなくて、ヘルパーさんもドクターも家族も、「食べる」ということに向き合える人を増やしていきたいですね。

ー多くの人にとって、「食べる」って自分ごとですもんね。

そうです、そうです。多くの人にとっていつか自分ごととして向き合う変化なので、〈食べることができる/できなくなる〉ということを含めた「食」に興味を持ってもらいたいですし、その機能を維持していく視点も大切に暮らしてもらえたらいいなって思っています。

食とは、「楽しみ」そして「感動」

ー訪問看護をしていて、他にも印象的なできごとはありましたか?

たくさんありますよ。ある方が、病院で「禁食(口からの食事は禁止)」って言われて点滴をしながら退院してきたのですが、訪問してみたらスポンジをチューチュー吸うような反応があって。主治医と「食べられるかもね」って話したんですね。実際、その人は口から食べられるようになったんですけども、家族から「あの時、そう言ってもらったことが嬉しかった」って言ってもらって。病院で「もう食べられません」って伝えられたことが、本人だけではなくて、家族にとっても大きなショックだったということが伝わってきましたね。

ー入院中は「食べちゃダメ」って言われたけど家に帰ってきたら食べられるようになったっていうこと、チョイチョイ出逢いますよね。

チョイチョイありますね。在宅医療の現場にいる人はそれをよく知ってる。もちろん病院の見立てを信じていないわけじゃないんですけど、そういうことが起きる可能性があることも知っているんです。
住み慣れた環境と、信頼できる人がそこにいるっていう力なんですかね。あと、家族の攻めるケア。少しリスクをこえて、本人をがんばらせたり、引き上げるような。医療者だとリスクを考えてなかなかできなかったりするケアってありますね。立場として、おすすめはしないんですけど。(笑い)

ー良い意味で驚かされることもたくさんあります。大好きなお寿司を目にすると途端に覚醒して、最大限の力を発揮して食べることができたり。

そうそう。家って、その人の力を最大限に発揮できる場所なのかもしれません。
あと、家族の味付けには負けますね〜。どんな高級料理店も叶わない。何十年もそばにあった当たり前の味の強さ。食べるということが危機的な状況になったとき、人は食べ慣れたものを食べたくなるのかもしれないなあって思います。

ー最後に、青木さんにとって「食」とは何か、教えてください。

「当たり前のこと」だと思うんですよね。「楽しみ」って言葉だけだと足りないって思っています。「よろこび」という言葉も加わるような。そういう感じです。
人と食べた方が美味しいし、誰かと感動したりとか。あ、「感動」って近いかな。

ー感動!いいですね。「食」って、生命維持だけじゃない文化的な意味もたくさんありますもんね。

日常的にはそっちのほうが大きいですよね。時間の共有や、関係性、分け合うこと、一緒に食べることの意味があったりとか。暮らしのなかで「食事」というものがその人のなかでどういう位置付けなのかって、とても大切な視点だと思っています。そうしないと、食事が栄養摂取だけの目的になってしまうから。食べる機能が低下したとしても、「その人が大切にしている食事」に近づけるケアをこれからも提供していきたいと思っています。

〈後半・終〉

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